ミッション系大学ならではの名称の由来や、
聖学院大学についてなど、エピソードをご紹介します。
学校法人聖学院は、1903年(明治36年)にハーヴェイ・H・ガイ博士(Dr. Harvey H. Guy)が石川角次郎、宮崎八百吉らの協力を得て創設した聖学院神学校を起源としています。「聖学院」という名称について、後に聖学院中学校長も務めた石川角次郎は次のように述べています。
「われらは君が学園を『聖学院』と名づけた。その意義は、聖なる学園ではなく、聖学の院である。聖学とは聖人の学である。聖人の学とは、聖人の教えを学ぶばかりでなく、学んで聖人となるのである。そうであれば本校の理想は聖人を養成することである。」(「二十年の回顧」、『椎稜』一〇号、大正一五年)
ここでいう「聖人」とは、キリスト教の信仰者を含む、古来より人々を導いてきた賢人たちを指していると解釈できます。このことから、「人々が模範とすべき人物を育成する」こと、すなわち、他者への貢献を惜しまず、社会の発展に寄与する人材を育成することが、聖学院の創設当初からの目標の一つであったと言えるでしょう。この精神は現在の聖学院にも受け継がれ、「神を仰ぎ 人に仕う」という建学の精神として、法人内の各学校で今も大切にされています。
聖学院大学には校歌と呼ばれるものはありません。大学創設当初には制定しようという動きはあったのですが、校歌としての制定には至りませんでした。その後、学生部などが中心となって、毎年度「聖学院大学の歌」を募集し、しばらくの間は1993年度に採用された酒井文雄元教授(故人)の作詞に村山順吉教授(当時は講師)が作曲したものが聖学院大学を代表する歌として入学式や卒業式などの式典で歌われてきました。
その後、女子聖学院短期大学(1967年創設)が1998年に発展的改組によって聖学院大学に統合される機会を捉え、それまで長い間短期大学学生や同教職員の間で親しまれ、歌われ続けてきた「女子聖学院短期大学の歌(1971年制定)」(作詞:浅原六朗、作曲:小林秀雄)がこのまま消えることは大変残念であるとの議論がまき起こり、両大学関係者が協議の末、この歌を「ミレニアム希望の賛歌」として、大学において校歌に代わる歌として歌い繋いでいこうということになったのです。浅原六朗先生は童謡「てるてるぼうず」の作詞でも有名であり、昭和の初期振興芸術家の代表として活躍されました。先生は1968年の国文科増設と同時に女子聖学院短期大学に専任の教授として就任され、本学にて学科長などとしても活躍されました。
聖学院大学の校章は、右に示した通りです。
この校章の作成段階において関わられた第2代学長安倍北夫先生の文章によれば、この校章の持つ意味は以下の通りです。
「老いたるものは夢を、若き者は幻をみる。」そして聖書は記す。「幻なき民は滅ぶ」と。この学園が仰ぎ、この学舎の生み出すもの。それは、「信・望・愛」のペルソナ。
「信」は盾。あらゆる困難、悪意、理不尽「火矢」。そして悪虐。それを防ぐ盾は「信仰」。「盾」の外枠は「U」。すなわちユニバーシティ。 「望」はオリーブの緑。ノアの箱舟は四十日四十夜の豪雨と洪水と漂流。その後、船から飛ばした鳩が、ついにオリーブの若緑をくわえてきた。神の和睦のしるし。ここに希望がある。こうして「信仰」の盾の地色はオリーブグリーン。わが大学のスクールカラーはすなわちオリーブグリーン。若きものよ、そこに幻をみよう。
「愛」。オリーブグリーンの盾の上に立つものは、救いの十字架。人と人、国と国の間の悪虐無道の果てしない争い、その闇の罪障を一身に負うて、神の子イエスが死に給うた。無償のつぐない、至高の愛。ここにこそ救いがある。しかも十字架の上は切りあけてある。たとえ八方塞りでも、君よ、十字架において上を仰ごう。そこは開けている。
聖学院の「S」は実にその上に乗せられてある。しかもその「S」は「サービス」のSでもある。「神を仰ぎ、人に仕う」かくしてわが校章のパーソナリティはなった。
聖学院大学は東京より約30分の通学電車により、最寄りの高崎線宮原駅、埼京線日進駅が利用可能な立地にあります。但し、両駅から本学までは徒歩で15~20分程度要することもあって、早い時期より学内スクールバスの要望は学生や父母の方々よりありました。それとは別に教職員については専用送迎バスが大学創設当初より運行されていました。聖学院大学では宮原駅からの路線バス運行の働きかけを積極的に行い、宮原から指扇へ向けての路線定期バスという形で実現しました(聖学院大学前バス停から大学までは多少距離がありますが…)。
その後、大学後援会が中心となり大学と協力して学生達のためにスクールバスを走らせたいという希望に向けて検討が続けられ、約1年の準備期間の後、2000年度より正式に大学-宮原駅、大学-日進駅間のスクールバスを運行させることができました。その後、日進駅からのスクールバスは運行停止となり、現在は、「大学─宮原駅」、「大学─西大宮駅」間にて運行しています。
現在3台または4台のバスにより約15分から30分間隔で運行されており、大学後援会の全面的なバックアップのもと、学友会や同窓会からの援助もいただきながら、年間のべ約12万人もの学生たちの足として利用されています。また、教職員の方々の通勤用としても利用され、今では不可欠な大学の顔となっています。
駒込キャンパス(女子聖学院中学校高等学校敷地内)にあった、旧宣教師館は東京都の重要文化財にも指定された雰囲気のある美しい建物でした。この建物はニューヨークで設計されたもので、屋根や窓枠が洋風の造りになっています。屋内は、ナラ材で組まれた床の模様や、曲がり角の沢山ある階段、凝った手すりなどに、明治の職人たちの熱意がうかがわれます。
1907年に建てられましたが、かつてはこの学校で教えた宣教師の家族が住んでいました。聖学院の田端駅側にある聖学院通りという路地から見ることができました。
女子聖学院中学校高等学校の新校舎建築のため、残念ながら2006年3月に解体されました。
"Pietas et Scientia"
聖学院大学が掲げる標語の"Pietas et Scientia"というラテン語は、英語では"Piety and Science"すなわち「敬虔と学問」と訳される言葉です。
聖書には「主を恐れることは知恵のもとである、聖なる者を知ることは悟りである。」(箴言第9章10節)とありますが、人類はクローン人間に代表されるように遺伝子や生命操作をもなし得るようになり、科学の進歩はめざす目的も知らずにただ暴走する勢いです。またあらゆる分野で知識は増大し、かえって青少年の学力崩壊現象が起きています。知識が増大して、知恵は貧しくなりました。本学は、プロテスタント・キリスト教の精神に基づき、自由と敬虔を尊重しつつ、真理を探究しようとする大学です。従って大学の中枢に礼拝を持っています。そこで、神の私たち人間への愛が語られ、私たちは神への敬虔、人々への敬愛、私たちの貧しさを知ります。神に見守られている私たちはしっかりした存在基盤のもと、喜びをもって学問に励むのです。そして学問の本当の目的を知っていくのです。
ギリシア・ローマ時代の格言の中には今も広く世界中で使われているものが数多く残されていますが、その中の一つに紀元1世紀のローマの社会風刺詩人、デキムス・ユニウス・ユヴェナリス(L Decimus Junius Juvenalis A.D.50-130)の言葉として一般に広く知られている「健全な精神は健全な身体に宿る(mens sana in corpore sano)」というものがあります。聖学院大学では2002年度まで大学の全学行事としてスポーツディを毎年春に行ってきましたが、女子聖学院短期大学の伝統を受け継ぐ形で、2003年度からはこのイベントをユヴェナリスの名に因んでジュベナリス祭と呼ぶことになりました。
なお、ユヴェナリスのこの「健全な精神は健全な身体に宿る」という言葉は、本来は必ずしもこのような意味で語られた言葉ではないことは今では通説になっているようです。確かに健全な肉体を持つ者が、必ずしも健全な精神を持つとは限らないですし、また、どんなに健全な精神と肉体を持とうと思ってもそれがかなわない人もいます。大切なことは、たとえ自分自身が健全な精神と肉体を持っていたとしても、そうでない人を思いやる気持ちが大切なのではないでしょうか。
毎年異なる競技の大会をジュベナリス祭で行なっています。
Quied est veritas?(真理とは何であるか?)
─Est vir quiadest.(あなたの前にいるものがそれです)
ヴェリタスとはラテン語で「真理」を意味することばです。ヨハネによる福音書では、イエスはご自身を「良い羊飼い」(10.11)、「復活、命」 (11.25)、「道、真理、命」(14.6)などといっています。ピラトは裁判の席でイエスに「ユダヤ人の王か(18.33)」と尋ねられましたが、 「わたしが王であることは、あなたの言っていることである。わたしは、真理について証するために生まれ、また、そのためにこの世に来た。…」と答えられる と、「真理とは何か」と尋ねました(18.37-38)。この裁判では、イエスとピラトが何語で言葉を交わしたのかは分かりません。しかし、ピラトが「真 理」という言葉をローマ人として、「Veritas」と聞き取ったことは明らかではないでしょうか。
一般に「学園祭」とか「大学祭」、「文化祭」などと様々な呼び名で行われる催しは、学生の皆さんが主体となって様々な趣好を凝らし、またいろいろな計画やプログラムを盛りだくさんに準備し、外部からも卒業生は勿論、近隣の方々や学生、教職員の家族など多くの人を招いて楽しむという年に一度の大イベントと言えるものでしょう。私たちの大学ではこれを「ヴェリタス祭」と呼んでいます。「ヴェリタス」とは「真理」ということですから、見方によってはたいへんにいかめしい名前をつけたものだ、と思われるかも知れません。おそらくどこの学園祭においても、文化の香り高いプログラムとして講演やシンポや研究発表などもありますが、しかし何よりも一番人気があるのは、音楽や芸能人を招いての催しや食べもの、飲みものなどの模擬店ではないでしょうか。しかし、聖学院大学では「真理の探究」が人類普遍の価値であり、大学の使命であることを、自覚的に学内のみならず、大学が関わる全ての方々に発信したいとの願いをもってきました。
被造物である人間が本当に人間らしく自由に生きるためには、神の愛を確信し、素直な心、誠実な態度で常に努力する姿勢が大切です。また、真理を得ようと望む時、祈りのうちに心の清らかさを保ち、それを日常から高めることが必要となります。そして、人類全体の幸福を実現するためには、一人ひとりが平和を求める心で隣人愛にめざめ、お互いに助け合う心をもつことが求められています。聖学院大学では日々の教育研究活動を通して、また学園祭という場を用いてこのような人生観、世界観を、広くこの世の中に発信していきたいと考えています。
2013年ヴェリタス祭実行委員たち
聖書の「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書 第8章32節)のギリシャ語原文がこの言葉です。
私たちは、自分を駄目な存在と決めつけ不自由になり、あるいは、自分を過大評価し背伸びをした窮屈な毎日を過ごしていないでしょうか。人間はこうした人間的先入見により不自由になっているのです。イエスは私たちが本当の真理を知って目からうろこが落ちるような体験をすることを望まれます。
『聖学院大学の理念』第1条に、「自由と敬虔の学風」とあります。本学で真理を学ぶことによって、私たちが決してどうでもよい存在でないことを自覚します。また私たちが絶望的状況に置かれていても、必ずどこかに自由への突破口のあることを知ります。真理はあの「敬虔」の世界から到来します。私たちは本学で学ぶ自由人になっていきます。
そしてまわりの世界をより真実に、より善く、より美しくするために、多くの自発的わざをなしていくのです。ここに充実した学びの場があります。
1967年4月埼玉県上尾市に開設されました。初年度は英文科のみでスタートしましたが、その翌年には国文科が増設され、さらに1975年には児童教育学科が増設されました。
1988年に開設された聖学院大学に人文学部が増設されることに伴い、短大の児童教育学科は1992年に大学の児童学科として発展的に改組されました。さらに、1998年には英文科、および国文科が改組転換により大学人文学部の中に日本文化学科と人間福祉学科を生み出し、さらに既に大学に設置されていた欧米文化学科と児童学科の入学定員を増やすことになりました。その結果、女子聖学院短期大学は1999年3月をもって32年に及ぶ歴史を閉じることになったのです。
女子聖学院短期大学はプロテスタント・キリスト教の伝統にのっとり、堅実にかつ活発に教育、研究活動に進んできました。1967年以降の短期大学前半の歩みは、「何もなかった、そして全てが与えられた。」という言葉に代表されるように、神への深い信頼と感謝の気持ちが込められています。開設当初の数年は財政面での大変な苦労がありました。しかし、その苦労が克服され、校舎が次々に建設され、施設設備が次第に充実していったのです。教室の中の真理探究だけでなく、ゼミ旅行、軽井沢キャンプ、アメリカでのホームスティ、入学式後の2泊3日の軽井沢スクール、ジュベナリス祭、緑聖祭、そして現在では大学キャンパスの風物詩となっているクリスマスツリー点火祭、さらにキャップとガウンを身につけた晴れの卒業式などの一コマ一コマは今も短大卒業生の方々の心に深く残っていることでしょう。女子聖学院短期大学の卒業生は11,500人を超えています。
真の神との出会いにより生きる根拠を見出すこと、学生と教職員の暖かい交流などは、現在も聖学院大学に伝統として引き継がれています。
大学チャペル内に設置されている、女子聖学院短期大学記念室
学校法人聖学院はプロテスタント・キリスト教の伝統を受け継ぐ学校ですが、その由来は1883年アメリカのプロテスタント・キリスト教の一派であるディサイプルス派の外国伝道協会派遣の最初の宣教師チャールス・E・ガルスト夫妻(Mr. &Mrs. Charles E. Garst)とジョージ・T・スミス夫妻(Mr. &Mrs. George T. Smith)による日本伝道にあります。ディサイプルス派(The Disciples of Christ)の起源は19世紀初期にアメリカの教会間に起こった教会合同運動にその端を発しています。
この運動の根本理念は、
という3点に要約されます。その後様々な変遷を経て現代に至っていますが、機構的には会衆政治であり、個々の教会の自主性を重んじ、平信徒も牧師、伝道師と等しくキリストのディサイプル(使徒、弟子)であることを主張します。儀式としてはバプテスマと主の晩餐の2つを持ち、バプテスマは浸礼をもって行い、主の晩餐は日曜毎に守られます。またこれらの儀式を司るのは牧師ですが、かつては緊急の場合、信徒・長老・役員があたることもありました。
ただし、現在日本にある旧ディサイプルス教会は全て日本基督教団に加入しており、旧新約聖書を重んじ、教団信仰告白を告白し、聖礼典は牧師のみが司式しています。また、長老・執事を立てることはなく、ただ教会役員のみを選任しています。